最後(さいご)の 予習(よしゅう)が 終(お)わった。
着替(きが)えて 出陣(しゅつじん)せねば ならない。
久々(ひさびさ)に 島紬(しまつむぎ)の 単衣(ひとえ)に 袖(そで)を 通(とお)し 博多帯(はかたおび)を 神田結(かんだむすび)に 整(ととの)えた。
髪(かみ)を 結(ゆ)いなおし、手製(てせい)のかんざしを 挿(さ)した。
最後(さいご)に 下駄(げた)で 迷(まよ)った。
今日(きょう)は 大雨(おおあめ)の 予報(よほう)が 出(で)ている。
結局(けっきょく)、古(ふる)い下駄(げた)を はいた。
新(あたら)しいのを 濡(ぬ)らすのは、やはり 気(き)が 引(ひ)けた。
17:40
バスに 乗(の)り、四条高倉(しじょうたかくら)を 目指(めざ)す。
立(た)って 手(て)すりに つかまり、外(そと)を 眺(なが)めていた。
海外(かいがい)からの 観光客(かんこうきゃく)が、ゾロゾロ 乗(の)り降(お)りを くりかえした。
目的地(もくてきち)が 近(ちか)づくに つれて、胸(むね)が ときめくのを 感(かん)じた。
これは、はるか 昔(むかし)に 亡(な)くした 感覚(かんかく)だった。





きっと 誰(だれ)でも 経験(けいけん)がある 感覚(かんかく)に 違(ちが)いない。
見(み)せたい 欲望(よくぼう)
かすかな 緊張(きんちょう)
膨(ふく)らむ 期待(きたい)
失敗(しっぱい)の 心配(しんぱい)
よしえ虫(むし)の この感覚(かんかく)は ある日(ひ) 死(し)んでしまった。
今日(きょう)は この感覚(かんかく)が 戻(もど)ってきた。
だから 今(いま) 感(かん)じているのは、感覚(かんかく)の 亡霊(ぼうれい)なのかもしれない。
四条河原町(しじょうかわらまち)で 多(おお)くの 乗客(じょうきゃく)を 吐(は)き 出(だ)し、また 多(おお)くの 乗客(じょうきゃく)を 詰(つ)めこんだ。
次(つぎ)の 停留所名(ていりゅうじょめい)が 告(つ)げられた 瞬間(しゅんかん)に、降車(こうしゃ)ボタンを 押(お)した。
停車(ていしゃ)すると すぐに ICカードを タッチして バスを 降(お)り、歩道(ほどう)を 歩(ある)いて いった。
会場(かいじょう)を 確認(かくにん)して、通(とお)り 過(す)ぎた。
一旦(いったん) ジュンク堂(どう)に 入(はい)って 音楽雑誌(おんがくざっし)を 眺(なが)めた。
こうでも しなければ、高(たか)ぶった 心(こころ)は 押(お)さえられなかった。
既(すで)に 息苦(いきぐる)しい ほど だった。
やや 落ち着(おち つ)きを 取り戻(とり もど)し、ジュンク堂(どう)を 出(で)た。
すると、観光客(かんこうきゃく)や 買物客(かいものきゃく)に まざって、黒(くろ)いTシャツを 着(き)た人(ひと)が 一点(いってん)を 目指(めざ)して 歩(ある)いていた。
さきほどは、そんなことすら 目(め)に 入(はい)っていなかった。
18:05
会場前(かいじょうまえ)に 佇(たたず)む 人(ひと)が 増(ふ)えていた。
よしえ虫(むし)の 後(うし)ろには 60代(ろくじゅうだい)と 思(おも)われる 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た 男性(だんせい)がいた。
静々(しずしず)と 押し 寄(おしよ)せる 高潮(たかしお)のように 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た人(ひと)が 増(ふ)えていく。
親子(おやこ)で 黒(くろ)いTシャツを 着(き)て 来(き)た 人(ひと)。
子育て世代(こそだて せだい)と 思(おも)われる 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た 女性(じょせい)。
黒(くろ)いTシャツを 着(き)た 中年夫婦(ちゅうねんふうふ)。
黒(くろ)いTシャツを 着(き)た 若(わか)い カップル。
よしえ虫(むし)のような 和服姿(わふくすがた)もいるが、ほとんどは 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た人(ひと)だった。
6〜7割(わり)が 男性(だんせい)で、平均年齢(へいきんねんれい)も 高(たか)めである。
物見高(ものみだか)い 通行人(つうこうにん)が 黒(くろ)いTシャツの 集団(しゅうだん)を 見て、何事(なにごと)が 語り合(かたり あ)いながら 過(す)ぎていく。
奥(おく)の ヘアサロンの 客(きゃく)の 女性(じょせい)が、黒(くろ)いTシャツの 集団(しゅうだん)に 気(け)おされて 中(なか)に 入(はい)れない。
黒(くろ)いTシャツの 人(ひと)に 何(なに)が あるのか 香港人(ほんこんじん)が 果敢(かかん)に 尋(たず)ねる。
小雨(こさめ)の 中(なか)で 黒(くろ)いTシャツの 集団(しゅうだん)は 静(しず)かに 立(た)っていた。
開場時間(かいじょうじかん)よりも 早(はや)く、入場(にゅうじょう)が 始(はじ)まった。
よしえ虫(むし)は 真ん中(まん なか)ぐらいだった。
番号順(ばんごうじゅん)に 呼(よ)ばれた 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た人(ひと)が 建物(たてもの)に 吸い込(すい こ)まれていった。
18:40
ステージに 近(ちか)い 方(ほう)は、すでに 黒(くろ)いTシャツの 集団(しゅうだん)で 埋め尽(うめ つ)くされていた。
よしえ虫(むし)は まず、ドリンクコーナーに 向(む)かった。
朝(あさ) 食(た)べた 後(あと)は、夕食(ゆうしょく)まで 何(なに)も 口(くち)にしない 習慣(しゅうかん)が あるので、のどが 渇(かわ)いていた。
特(とく)に、待(ま)っている 間(あいだ)の 蒸し暑(むし あつ)さで、完全(かんぜん)に 水分(すいぶん)が 飛(と)んでいた。
このまま ライヴに 突入(とつにゅう)すれば、熱中症(ねっちゅうしょう)に なるかもしれない と思(おも)った。
生(なま)ビール

開演(かいえん)の 前(まえ)に、今回(こんかい)の 第2(だいに)の 目的(もくてき)である グッズ販売(はんばい)コーナーへ 向(む)かった。
最近(さいきん)は インターネットでばかり 音楽(おんがく)を 聴(き)いていたので、久(ひさ)しぶりに フルアルバムとして 楽曲(がっきょく)を 楽(たの)しみたくなっていた。
だから、CDを 何枚(なんまい)か 買(か)う 予定(よてい)を していた

次(つぎ)に アーティスト・グッズを 見(み)ていたら…









TAKE「あーーー









ほとんど 同時(どうじ)に 叫(さけ)んでいた。
TAKEちゃんも 一人(ひとり)で 来場(らいじょう)していた。
黒(くろ)いTシャツを 着(き)ている TAKEちゃんは 黒(くろ)いTシャツ選(えら)びで、迷(まよ)っている 最中(さいちゅう)だった。
TAKE「よしえ虫(むし)も 来(き)てたの




すると…
背後(はいご)にいる 黒(くろ)いTシャツを 着(き)た 人(ひと)たち「『イカ天(てん)』からだって




と、どよめきが 起(お)こった。
よしえ虫(むし)は それに ちょっと 満足(まんぞく)しつつ

TAKE「えーーー、そうなんやー





TAKE「よしえ虫(むし)も 聞(き)いてたんだー



TAKE「『瀆神(とくしん)』を 聞(き)いて、スゲーカッコイイーッて思(おも)って、絶対(ぜったい) 生(なま)で 見(み)たいって 思(おも)ったからさー」




TAKE「だから、今日(きょう)は どうしてもって 言(い)って、会社(かいしゃ)を 30分(さんじゅっぷん) 早(はや)く 出(で)てきたんだー

ふと、振り返(ふり かえ)ると 人(ひと)だかりが 一段(いちだん)と 増(ま)していた。
さっさと、買物(かいもの)せねば 迷惑(めいわく)に なりそうだった。


そして、よしえ虫(むし)は グッズの 右端(みぎはし)に 立(た)って、黒(くろ)いTシャツを 着(き)た スタッフの 女性(じょせい)に、声(こえ)をかけた。



スタッフ「Sは 売り切(うり き)れたんです



スタッフ「はい、ありがとうございます



となりで TAKEちゃんが、よしえ虫(むし)の 買物(かいもの)の 様子(ようす)を 見(み)ていた。
そして、決心(けっしん)したようだった。


TAKE「じゃ、ぼくも こっちにしよう

というわけで、よしえ虫(むし)と TAKEちゃんは おそろいの 黒(くろ)いTシャツを 所有(しょゆう)することになった。
黒(くろ)いTシャツを 着(き)た スタッフの 女性(じょせい)が 手(て)すきに なったので、次(つぎ)なる 目的(もくてき)を 実行(じっこう)することにした。

スタッフ「はい




スタッフ「誰(だれ)か このメンバーに とかって、ありますか?」



よしえ虫(むし)の 言葉(ことば)に スタッフの 女性(じょせい)の 目(め)が 大(おお)きく 輝(かが)いた。
スタッフ「わかりました







さて、もうすぐ 開演時間(かいえんじかん)である。
結局(けっきょく) かなり 後(うし)ろの 方(ほう)で 見(み)ることに なってしまった。
まぁ、そんなに 大(おお)きくない 会場(かいじょう)だから、手元(てもと)まで ちゃんと見(み)えるし、わざわざ 前(まえ)へ 行(い)こうとも 思(おも)わなかった。
TAKE「やっぱり 『シャバダバディアー』って 叫(さけ)ばんと



TAKE「うん、この1ヶ月(いっかげつ)は ずーっと 『新青年(しんせいねん)』聞(き)いてた



TAKE「すげーっ




19:05
SEが 流(なが)れ ステージに メンバーが 現(あらわ)れた。













































































30年間(さんじゅうねんかん)の 足跡(そくせき)を たどるような、素晴(すばら)らしい ライヴだった。
『無情(むじょう)の スキャット』の アルペジオを 聞(き)いている 時(とき)、なんだか 母親(ははおや)の 気分(きぶん)になった。
わが子(こ)の 演奏会(えんそうかい)を ハラハラしながら 見守(みまも)っている 気分(きぶん)である。
よしえ虫(むし)も 中学時代(ちゅうがくじだい)は ブラスバンド部(ぶ)だった。
しかも フルートだったから、最前列中央(さいぜんれつ ちゅうおう)に 近(ちか)いところで 演奏(えんそう)していた。
きっと よしえ虫(むし)の 母親(ははおや)も こんな気分(きぶん)を 味(あじ)わっていたのだろう。
『無情(むじょう)の スキャット』の アルペジオが かなり 難(むずか)しいことは、和嶋氏(わじま し)も 解説(かいせつ)で 言(い)っておられた。
そして、やや 甘(あま)くなった ピッキングを 聞(き)いた 時(とき)、胸(むね)の 奥(おく)から「がんばったね〜


30年前(さんじゅうねんまえ)は、ただただ 衝撃的(しょうげきてき)だった。
楽曲(がっきょく)の 完成度(かんせいど)、演奏力(えんそうりょく)の 高(たか)さに 圧倒(あっとう)された。
そして、今(いま) 30年前(さんじゅうねんまえ)の アルバムを 聞(き)いても 素晴(すば)らしいと思(おも)う。
人間椅子(にんげんいす)デビューから、30年(さんじゅうねん)。
愛(あい)し 続(つづ)けて 30年(さんじゅうねん)。
確(たし)かに、30年(さんじゅうねん)という 年月(ねんげつ)は、0歳(れいさい)の 子供(こども)が 30歳(さんじゅっさい)になるのだから、わが子(こ)の 晴れ姿(はれ すがた)を 見(み)ているようなもの かもしれない。
自分(じぶん)が 過(す)ごしてきた 30年(さんじゅうねん)と 重(かさ)ね 合(あ)わせてみると、ほんとうに 感慨深(かんがい ぶか)かった。
21:30
ライヴが 終(お)わり、黒(くろ)いTシャツの 集団(しゅうだん)が 出口(でぐち)へ 向(む)かっていく。
よしえ虫(むし)と TAKEちゃんは それに 反(はん)して、会場中央(かいじょう ちゅうおう)に 移動(いどう)した。
TAKE「ドリンク もらって こよう



そして、よしえ虫(むし)は ステージ前(まえ)に すすみ、バスドラの アートワークを じっくり 見(み)ていた。
ベース
ギター
TAKEちゃんは 『命の水(いのち の みず)』を 持(も)って、ステージ前(まえ)に 来(き)た。
TAKE「ペプシは あんまり 好(す)きじゃないなぁ〜」


それから、しばらく ライヴの 感想(かんそう)や 音楽遍歴(おんがくへんれき)や 近況(きんきょう)などを 話(はな)した。
TAKE「人間椅子(にんげんいす)を 聞(き)いてたら、YUKIちゃんが『それ 筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)?』って



TAKE「最近(さいきん) バンドを 再開(さいかい)したんだー



TAKE「なんか 自分(じぶん)の 時間(じかん)ができて、すっごく いいかんじ



TAKE「うん、ほんと そう思(おも)う



そんなことを 話(はな)しながら 会場(かいじょう)を 出(で)て、入り口(いり ぐち)の 巨大(きょだい)ポスターの 前(まえ)で お互(たが)いに 記念撮影(きねんさつえい)の 撮(と)りっこ。
TAKEちゃんは 地下鉄(ちかてつ)で 帰(かえ)るので、四条高倉(しじょうたかくら)の バス停(てい)で 別(わか)れた。
よしえ虫(むし)は バスに 乗(の)り、頭の中(あたま の なか)で 今日(きょう)の セットリストの 楽曲(がっきょく)を 反復(はんぷく)しながら、立(た)って 外(そと)を 眺(なが)めていた。
充実感(じゅうじつかん)と 高揚感(こうようかん)、そして 一抹(いちまつ)の 淋(さびしさ)しさ…。
これも、よしえ虫(むし)の 胸(むね)に よみがえった 亡霊(ぼうれい)だ。
次(つぎ)は いつ よみがえるのだろう。
それまでは、また インターネットで 再生(さいせい)し、カラオケで 歌(うた)い、CDを 購入(こうにゅう)して 応援(おうえん)するしかないが…。
会場(かいじょう)で 購入(こうにゅう)した『椅子の中から(いす の なか から)』を 読(よ)みながら、これまでの 楽曲(がっきょく)を 復習(ふくしゅう)するのが これからの 楽(たの)しみになった。