(じゅういちがつ じゅういちにち)
はぁ〜

久(ひさ)しぶりに 湯治(とうじ)に 出(で)かけられた。
足(あし)の 調子(ちょうし)は、そんなに 悪(わる)くない。
でも、肩(かた)や 腰(こし)には 少(すこ)し 疲労(ひろう)が たまってきた ようだった。
11月(じゅういちがつ)に 論文提出者(ろんぶんていしゅつしゃ)が 二人(ふたり)。
それが 終(お)わって、次(つぎ)の 提出締切(ていしゅつしめきり)まで、すこし ホッとできる。
それに、相撲(すもう)も ある。
だから、エイッと 温泉(おんせん)に でかけた。
リニューアル後(ご)、初(はじ)めての 訪問(ほうもん)となる。
今日(きょう)は あまり 混(こ)んでいない ようだった。
送迎(そうげい)バスにも 空席(くうせき)が あった。
入館(にゅうかん)すると、入り口(いりぐち)に 駅(えき)の 自動改札(じどうかいさつ)のような 装置(そうち)が あった。


ICキーを タッチして、カウンターへと 向(む)かう。
脱衣(だつい)ロッカーの キーは、コインリターン式(しき)に なっていた。
ということは、館内(かんない)では 鍵(かぎ)を 二(ふた)つ 身(み)に 着(つ)けて おかねばならないのか…
ちと、面倒(めんどう)だと 思(おも)った。
しかし、ロッカーは 好(す)きな 場所(ばしょ)を 選(えら)べる。
朝(あさ)イチだった ためか、シャワーの 温度(おんど)が なかなか あがらなかった。
さっさと 体(からだ)を 洗(あら)って、温泉(おんせん)に 浸(つ)かった。
温泉(おんせん)の 湯加減(ゆかげん)も、心(こころ)なしか 低(ひく)く 感(かん)じた。
11時過(じゅういちじ す)ぎ、露天風呂(ろてんぶろ)で 空(そら)を 見上(みあ)げていたら、鋭(するど)い 閃光(せんこう)が 眼(め)を 射(い)た

しばらくして、バリバリと 雷鳴(らいめい)が とどろいた。
そして、今日(きょう)の カラオケでは 『雷神(らいじん)

今(いま)まで、台風(たいふう)や 雪(ゆき)の 日(ひ)に、この 露天風呂(ろてんぶろ)に いたことはあった。
しかし、雷(かみなり)は 初(はじ)めてだった。
なかなか できない 経験(けいけん)だ。
灰色(はいいろ)の 雲(くも)の 隙間(すきま)から、光線(こうせん)の 糸(いと)が 垂(た)らされ、遅(おく)れて 空(そら)を 引き裂(ひき さ)くような 轟音(ごうおん)が 響(ひび)く。
空気(くうき)が 振動(しんどう)し、皮膚(ひふ)を しびれさせる。
全身(ぜんしん)で 自然(しぜん)の 猛(たけ)りを 受け止(うけ と)めている ようだった。
雷鳴(らいめい)が 止(や)み、雲(くも)が 切れ切(きれ ぎ)れになると、青空(あおぞら)も 見(み)えてきた。
天気予報通(てんきよほう どお)り、今日(きょう)は 不安定(ふあんてい)な 空模様(そらもよう)だった。
午後(ごご)は カラオケと、相撲観戦(すもう かんせん)である。
家(いえ)では シャウトできないので、一人(ひとり)カラオケで 心行(こころゆ)くまで 叫(さけ)ぶのである。
発声練習(はっせいれんしゅう)でもあり、ストレス発散(はっさん)でもあり、トレーニングでもある。
それに、最近(さいきん)では ライヴの予習(よしゅう)も 兼(か)ねている。
今回(こんかい)の 予習(よしゅう)テーマは 『落語(らくご)』

「マイ歌詞(かし)カード」持参(じさん)で、予習(よしゅう)に いそしんだ。
PV映像(えいぞう)になった 『無情(むじょう)のスキャット』に 感激(かんげき)しつつ 予習(よしゅう)

たっぷり 2時間(にじかん)と 思(おも)ったが、あっという間(ま)だった。
次回(じかい)は 3時間(さんじかん) 必要(ひつよう)かも…
まぁ、一曲一曲(いっきょく いっきょく)が 長(なが)いから、歌(うた)っている 時間(じかん)は、半分(はんぶん)くらいに なるのだが

カウンターに マイクを 返(かえ)して、新館(しんかん)へ 向(む)かう。
乱歩(らんぽ)の 『人間椅子(にんげんいす)』のような マッサージチェアに 座(すわ)って、肩(かた)、背中(せなか)、腕(うで)、脚(あし)を もみほぐす。
全身(ぜんしん)に 勢(いきお)いよく 血液(けつえき)が 回(まわ)っていくのが わかる。
今日(きょう)は 九州場所二日目(きゅうしゅうばしょ ふつかめ)である。
幕内土俵入(まくうち どひょうい)り から、ゆっくり 観戦(かんせん)できた。
石浦関(いしうら ぜき)と 炎鵬関(えんほう ぜき)が、そろいの 化粧(けしょう)まわし である。
横綱土俵入(よこづなどひょうい)り で、露払(つゆはら)い、太刀持(たちも)ちを それぞれ 受け持(うけも)つ ため である。
これが 見(み)たかったぁ〜

よしえ虫(むし)に とっては、横綱(よこづな)より この 二人(ふたり)が 重要(じゅうよう)

それから、もう 一人(ひとり)。
阿炎関(あび ぜき)

今日(きょう)は 横綱大関(よこづな おおぜき)が 総崩(そうくず)れとなる 波乱(はらん)が あった。
阿炎関(あび ぜき)が 大関(おおぜき)を 破(やぶ)り、殊勲(しゅくん)インタビューも あった。
いい日(ひ)に 観戦(かんせん)できたと 満足(まんぞく)だった。
雲(くも)の 切れ間(きれ ま)から 大(おお)きな 月(つき)も 見(み)えた。
空(そら)も 土俵(どひょう)も 波乱(はらん)ずくめ であった。
いつもの 和食処(わしょくどころ)に 移動(いどう)した。
すると、なんと






炉端(ろばた)メニューが なくなっている ではないか

ほんとうに がっかりしてしまった





いつも、ここで ささやかな 贅沢(ぜいたく)を するのが 楽(たの)しみだったのに









まぁ、しかたない。
気(き)を 取り直(とり なお)して、注文(ちゅうもん)しよう。
注文(ちゅうもん)も タッチパネルに なっている ではないか



店員(てんいん)「あっ、リニューアルしてから 初(はじ)めて でしたっけ



店員(てんいん)「じゃ、まず 注文(ちゅうもん) お聞(き)きしますね」

店員(てんいん)「はい、かしこまりました

とりあえず、いつも通(どお)りの 注文(ちゅうもん)ができた。
ゆっくり、『歴史の時間(れきし のじかん)』を 読(よ)みながら、いつものように ゆっくり 食事(しょくじ)を 楽(たの)しんだ。
この 本(ほん)は 欧米(おうべい)の 研究者(けんきゅうしゃ)による 歴史学書(れきしがく しょ)である。
執筆年(しっぴつねん)は 第二次大戦後(だいにじたいせん ご)すぐ だが、非常(ひじょう)に 示唆(しさ)に 富(と)む 論述(ろんじゅつ)である。
著者(ちょしゃ)は オーラル・ヒストリーの 重要性(じゅうようせい)を 説(と)いている。
歴史(れきし)は、英雄(えいゆう)や 聖職者(せいしょくしゃ)などの 華々(はなばな)しい 記録(きろく)から、脱却(だっきゃく)しなければならない という。
市井(いちい)の 個人(こじん)の 実感(じっかん)した 社会(しゃかい)そのものが、人間世界(にんげんせかい)の 歴史(れきし)だと 強調(きょうちょう)する。
最近(さいきん)、世界史(せかいし)を 勉強(べんきょう)する 学習者(がくしゅうしゃ)もいるので、新(あら)たな 視点(してん)からの 解説(かいせつ)も できそうである。
11月14日
(じゅういちがつ じゅうよっか)
パソコンの 前(まえ)で 待機中(たいきちゅう)


11月15日
(じゅういちがつ じゅうごにち)
待(ま)ちに 待(ま)っていた チケットが 届(とど)いた

あとは 着物(きもの)の 着付(きつ)けの 練習(れんしゅう)あるのみ

こんな ふうに 美(うつく)しくは なれないけどね〜

