2017年11月14日

冬(ふゆ)の 訪(おとず)れ

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今日(きょう)の 京都(きょうと)は 冷(つめ)たい 雨(あめ)が 降(ふ)って いました。
こんな 日(ひ)は、やはり 熱燗(あつかん)が 恋(こい)しく なります。
雨(あめ)ですから 歩(ある)いて スーパーへ 行(い)き、日本酒(にほんしゅ)を 一升(いっしょう) 買(か)いました。
ちょっと 重(おも)いですが、熱燗(あつかん)のため ですから、平気(へいき)です。
傘(かさ)を さして 歩(ある)いて、20分(にじゅっぷん)ほどで 家(いえ)に 帰(かえ)りました。

まずは、酒器(しゅき)を 用意(ようい)しました。
よしえ虫(むし)は 徳利(とっくり)ではなく、燗瓶(かんぴん)を 使(つか)います。
これは、直火(じかび)に かけられる ので 便利(べんり)です。
よしえ虫(むし)の 燗瓶(かんぴん)は 清水焼(きよみずやき)です。
それと セットの ぐい呑(の)みを 出(だ)しました。
猪口(ちょこ)も いいですが、一口飲(ひとくち の)む たびに 注(つ)がねば なりません から、台所作業(だいどころさぎょう)を しながら だと、ちょっと 面倒(めんどう)です。
日本酒(にほんしゅ)を 呑(の)む ときは、酒器(しゅき)を 選(えら)ぶ のも 楽(たの)しいです。
たくさんの 酒器(しゅき)から、今日(きょう)の 気分(きぶん)に 合(あ)わせて 選(えら)びます。
今日(きょう)は 今冬初(こんとう はつ)の 熱燗(あつかん)です から、ごく 無難(ぶなん)に セットで まとめました。

日本酒(にほんしゅ)を 呑(の)む ときに 気(き)をつけた ほうがいい のは、日本酒(にほんしゅ)だけを 呑(の)まない ことです。
水(みず)や お湯(ゆ)など を、時々(ときどき) 飲(の)みながら 楽(たの)しむ のが 体(からだ)に いいです。
二日酔(ふつかよい)に ならない ための、ちょっとした 工夫(くふう)です。
今日(きょう)は 台湾(たいわん)の 烏龍茶(うーろんちゃ)に しました。
烏龍茶(うーろんちゃ)の 急須(きゅうす)も 清水焼(きよみずやき)です。

熱燗(あつかん)るんるん
熱燗(あつかん)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)いい気分(温泉)
熱燗(あつかん)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)るんるん
烏龍茶(うーろんちゃ)
熱燗(あつかん)黒ハート
烏龍茶(うーろんちゃ)
熱燗(あつかん)
熱燗(あつかん)いい気分(温泉)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)るんるん
熱燗(あつかん)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)いい気分(温泉)
烏龍茶(うーろんちゃ)
熱燗(あつかん)
熱燗(あつかん)ハートたち(複数ハート)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)
熱燗(あつかん)ー(長音記号2)
烏龍茶(うーろんちゃ)
熱燗(あつかん)
烏龍茶(うーろんちゃ)かわいい
熱燗(あつかん)

こうして、熱燗(あつかん)の 夜(よる)は 更(ふ)けて いきました。
posted by よしえ虫 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 虫虫的看法(日記)diary

2017年10月10日

アジア回廊現代美術展(あじあ かいろう げんだい びじゅつ てん)

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今日(きょう)は 久(ひさ)しぶりに、京都芸術(きょうとげいじゅつ)センターに 足(あし)を 運(はこ)んだ。
現在開催中(げんざいかいさいちゅう)の アジア回廊現代美術展(あじあ かいろう げんだい びじゅつ てん)《10月15日(じゅうがつ じゅうごにち)まで》を 見(み)るため である。
今回(こんかい)は HyonGyonが 出品(しゅっぴん)しているので、どうしても 見(み)に 行(い)くつもり だった。
なかなか 時間(じかん)が 作(つく)れなかったが、ようやく 訪(おとず)れることが できた。
真っ先(まっさき)に 2階(にかい)に 上(あ)がり、展示室(てんじしつ)に 入(はい)った。
広(ひろ)い ホールいっぱいに 作品(さくひん)が 展開(てんかい)されていた。
『私(わたし)たちは醜(みにく)かった』2017
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先客(せんきゃく)が、近(ちか)づいて 写真(しゃしん)に 収(おさ)めていた。
HyonGyonの 作品(さくひん)は、細(こま)かく 見(み)ると 制作(せいさく)の 激(はげ)しさが わかる。
高温(こうおん)で 焼(や)けただれた ウレタンや ポリエステルは、被爆者(ひばくしゃ)を 連想(れんそう)させる。
しかし、それだけが 作品(さくひん)の すごさではない。
全体(ぜんたい)から あふれだして 見(み)る者(もの)を 圧倒(あっとう)する 破壊力(はかいりょく)が ある。
つまりHyonGyonの 作品(さくひん)は、破壊(はかい)によって 生み出(うみだ)されている のである。
しばし、作品(さくひん)の 前(まえ)に 佇(たたず)んで、その 破壊力(はかいりょく)を 一身(いっしん)に 受(う)けていた。

そして、ここ数カ月(すうかげつ)で わが身(み)に 発生(はっせい)したことを 考(かんが)えた。

にわかに 忙(いそが)しくなった。
それは、授業(じゅぎょう)が 多(おお)くなったこと だけでなく、身辺(しんぺん)が 慌(あわ)ただしくなったことも 理由(りゆう)にある。
やらねばならぬ ことは 山(やま)ほど あるのだが、どこから 手(て)を つければいいのか 糸口(いとぐち)が つかめないでいる。

作り上(つくり あ)げることは、ゆっくりと ストレスを 感(かん)じない 速(はや)さで 進(すす)んでゆく。
ある時(とき) 気(き)がつけば、あたかも 一瞬(いっしゅん)にして 出来上(できあ)がった かのように、そこに 存在(そんざい)している。
そして、永遠(えいえん)に 続(つづ)いていくような 顔(かお)をして、そこに 居座(いすわ)っているものである。
細(こま)かな 事象(じしょう)の 積み重(つみ かさ)なりが、堆積層(たいせきそう)を 形成(けいせい)する。
そして そこに 自分(じぶん)が どっぷりと 浸(つ)かり、発芽(はつが)し、根を生(ねを は)やし、微動(びどう)だにしない 存在(そんざい)であると 錯覚(さっかく)する。

しかし 同時(どうじ)に そこには、消滅(しょうめつ)するという 意識(いしき)も 存在(そんざい)している。
はじめは ごく 小(ちい)さな 細胞(さいぼう)であるのだが、様々(さまざま)な 刺激(しげき)を 受(う)けて 成長(せいちょう)していく。
ときどき 触診(しょくしん)してみると、その 大(おお)きさが 変化(へんか)しているのに 気(き)づく。
そして 周囲(しゅうい)の 細胞(さいぼう)を 栄養素(えいようそ)とし 肥大化(ひだいか)する。
肥大化(ひだいか)した 消滅(しょうめつ)は ある時点(じてん)で、外界(がいかい)に 顕在化(けんざいか)する。
そのとき 消滅(しょうめつ)は すべてを 破壊(はかい)し 去(さ)る。
壊(こわ)れることは 一瞬(いっしゅん)で 完了(かんりょう)する。
それ故(ゆえ)に、大(おお)きな 衝撃(しょうげき)が 与(あた)えられる。
それは 悲(かな)しみや 苦(くる)しみや 怒(いか)りを ともなって、波状攻撃(はじょう こうげき)を 加(くわ)えてくる。
その ダメージが 癒(いや)される までには、作り上(つくり あ)げた 期間(きかん)と 同(おな)じくらいの 時間(じかん)を 要(よう)する。

今回(こんかい)HyonGyonの 作品(さくひん)の 前(まえ)で 感(かん)じた 破壊力(はかいりょく)は、これから わが身(み)に 襲(おそ)いかかってくる ものである。
しかしながら、それを 阻止(そし)する 力(ちから)を よしえ虫(むし)は 持(も)ちあわせていない。
できるかぎのことを できるだけする のみである。
posted by よしえ虫 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 Exhibition

2017年09月20日

アクシデント

また ペンが なくなった。
ここで 何本目(なんぼんめ)に なるだろうか。
こんどは 0.3oの シャープペンシルだった。
さいきん よく 使(つか)っていたのだ。
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この 写真(しゃしん)に 写(うつ)っているのが、遺影(いえい)に なってしまった。
どこで なくなったかは はっきりしている。
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この 椅子(いす)の 上(うえ)だ。

いつ なくなったかも はっきりしている。
9月15日(くがつ じゅうごにち)の 12:00〜15:00の 間(あいだ)だ。
その間(あいだ)に ここに 滞在(たいざい)した 者(もの)が 持ち去(もち さ)ったのだ。

日本(にほん)は、ささいな 窃盗(せっとう)が 多(おお)い。
それは、しかるべき ところに 訴え出(うったえ で)る より、あきらめてしまう 被害者(ひがいしゃ)が 多(おお)い からだ。
確(たし)かに、数百円(すうひゃくえん)の 価値(かち)しかない ものだが、所有者(しょゆうしゃ)にとっては かけがえのない ものの  場合(ばあい)も あるだろう。
そんなことは、持ち去(もち さ)った人間(にんげん)には あずかり知(し)らぬこと。
ただ、運(うん)のよい 拾い物(ひろい もの)でしかない。

拾(ひろ)った ものを 活用(かつよう)してくれる なら、まだ 救(すく)われる。
しかし、この シャープペンシルは あまり一般的(いっぱんてき)ではない 0.3o芯(しん)が 必要(ひつよう)だ。
手持(ても)ちの 芯(しん)が 使(つか)えないと 知(し)った 拾い主(ひろい ぬし)は、いったい どうするのだろうか?
わざわざ 0.3o芯(しん)を 購入(こうにゅう)する だろうか?
芯(しん)が なくなったとき、この シャープペンシルも 用無(ような)しに なってしまう かもしれない。
それなら、いっそ、替え芯(かえしん)も 一緒(いっしょ)に 持ち去(もち さ)られれば よかった。

よしえ虫(むし)の 手元(てもと)には、主人(しゅじん)を なくした 替え芯(かえしん)が 所在無(しょざい な)げに 残(のこ)っている。
posted by よしえ虫 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 牢騒(つぶやき)mutter